カテゴリー「甲信越」の記事

2009年8月 9日 (日)

雨の遠征

090802tyuo115g14  大宮での夜行3連発を終えて、ここで一旦ブレイクダウンするつもりだったが、雲行きが怪しいこともあり行程を前倒しすることにした。中央線へ抜けるのに臨時快速に乗るつもりだったが、そこまで待てないので、埼京線~武蔵野線経由で西国分寺へ出て、そこから中央本線を乗り継いで甲府へ。甲府から身延線に乗るルートで帰阪する。このルートを選んだのは中央本線、身延線ともに以前乗った時に雨に降られたことがあったからだが、今回もその時以上の雨に降られ、身延線の途中の道中までは土砂降り状態で、途中電車が止まったらどうしようかと言うぐらいの降りだった。身延線で乗った列車は313系2連で車内は快適だったが、ダイヤは途中身延で長時間停車があるなどあまり楽なダイヤではなかった。18旅行の醍醐味と言えばそれまでだが、予定行程よりも2時間近く早く出ても1時間詰められる形で富士へ到着すると言う有様で、行程を前倒しした意味があまりなかった。富士から先は18で東海道を下る予定だったが、所用が出来たため静岡から京都まで新幹線でワープすることにした。

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2008年7月16日 (水)

JR大糸線

040808ooito52115127  04年8月7日の夜に松本に着いて、松本駅前のホテルに1泊して、朝から大糸線乗り潰しに挑んだ。この頃はまだ私鉄に手を出すことは少なかったので、松本電鉄は時間の都合などでスルーしている。松本から乗った大糸線電車は東北で見飽きるほど走っている701系スタイルのE127系だった。座らず前面かぶりつきで終点まで乗ったので、快適もへったくれもないが、701系と違い、一部にクロスシートを配置している点は観光路線である大糸線ならではの仕様と言ったところだろうか。大糸線の道中は非常にのんびりしており、景色もいいが、ここの路線は北アルプスの山々に雪が残る春の季節が一番見どころのある季節なのかもしれない。暑い夏に高原の空気を吸いながら、たまにE351系やE257系の特急とすれ違い、189系仕様のムーンライト信州の回送などを見ながら終点の南小谷まで乗り通した。南小谷では対面側にキハ52系が鎮座していた。JR西日本ご自慢?の旧型気動車はちょうど国鉄色に塗り替えられた時期で、国鉄ファンにはたまらない車両の一つとなっていた。完全に通勤型の様相のE127系との並びを撮って、そそくさとキハ52系に乗り換える。車内はそこそこ混雑しており、鉄っちゃんだけではなく、登山家というようないでたちの人も多かった。前日に大雨が降ったのか、沿線を流れる姫川はかなり水が濁っており、水量もかなり多かった。大糸線は同川の氾濫により一時期廃止も危ぶまれたことがあったが、沿線の景色を見る限り、今後も川の氾濫との闘いはまだまだ続くものと思われる。

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2008年7月15日 (火)

JR飯田線

040807iida119e34  JR飯田線は学生時代から乗り潰ししようしようと思いながらなかなか乗れなかったいや乗らなかった路線である。どう考えても時刻表を見ると1日がかりの乗り潰しとなるため、車内での退屈や効率の悪さなどがネックになって学生時代から敬遠してきた。乗り潰しに本腰を入れるようになって、いよいよ飯田線狩りに出なければならないようになって、04年夏に乗り潰し計画を立てた。早朝茨木を出て、限界いっぱいで豊橋に着くスジでも10時前後になるので、それ以降の豊橋発の飯田線電車でうまく終点の岡谷(辰野)まで辿り着けるスジを探って、日暮れ前に一旦岡谷に着いて、中央線旧線を通って塩尻、さらには宿を取っていた松本へと至るルートで乗り潰すことにした。翌日は大糸線を北上して北陸に抜けるルートを辿っているので差し詰め中日本縦断ルートを辿る旅と言ったところだ。

040807iida119  18シーズンで激込みの新快速で豊橋入りして、豊橋で待ち時間があったので、きし麺を食べて、飯田線ホームに入って名鉄電車をついで撮りしながら列車を待ち、天竜峡行きの119系に乗り込む。途中まで先頭でかぶりつきを楽しんでいたが、どこの駅からかは失念したが、運転席後部が荷物室となるため、立ち入り禁止となった。かつての荷物電車、新しいところでは223系0番台が行っていたような部分荷物室を目の当たりにした感じだった。珍しいものが見られたもののかぶりつきは途中で終わり、あとは座席について普通に景色を楽しむ(普通の旅行はそんなもんですけど)ことになった。この後天竜峡で1回乗り換えがあり、373系特急伊那路がやってきたりして、飯田線の旅を楽しみながら北上していったが、飯田を過ぎて、長野県に入ってから雲行きが怪しくなり、途中で雷雨と落雷による停電のため、どこだったか忘れたが途中の小さな駅で抑止を食らった。1時間以上抑止を食らった記憶があるが、これにより日暮れまでに岡谷に着くという行程は脆くも崩れ去り、岡谷に着いた時にちょうど日暮れになったところだった。岡谷から一旦戻る中央線旧線の旅は暗闇の道中となり、その日の目的地の松本に着いたのはどっぷり日が暮れて、駅構内の店も閉まるような時間だったのを思い出す。

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2008年5月24日 (土)

JR長野新幹線

050812naganose2n3  03年12月31日に仙台で一泊して、04年1月1日はJR東日本の正月パスで東日本の新幹線の旅を楽しんだ。前日には山形でマフラーを忘れる失態を犯しているが、駅員さんのご厚意により着払い宅急便で自宅へ送って頂けることになり、安心して正月パスの旅を楽しむことができた。実は山形新幹線に乗って山形を通ることになっていたのだが、山形はスルーする行程だったので、山形で忘れ物を受け取る時間がなかったので、駅員さんのご厚意に甘えた次第だ。今思い返せば詰まらぬ乗り潰しのために駅員さんに迷惑をかけて恥ずかしい限りだ。この場を借りてもう一度お礼を言いたい。“山形駅の駅員さんその節はありがとうございました!”

 04年1月1日は東北新幹線こまちを皮切りに、秋田新幹線~奥羽本線~山形新幹線と乗り継いで東京へ戻ってきた。朝から仙台の牛タン弁当を食して体力を付けて臨んだが、東京へ着いた頃には車内が混雑していたこともあり少々疲れていた。回数限定でグリーン車も乗れる切符だったが、つばさはグリーンが満席だったので、指定で新庄から東京まで乗り通したが、如何せん在来線規格の新幹線だけにシートピッチが狭く、車内が混雑しているため動き回ることもできず、疲れる道中だった。東京で息つく間もなく、続いて乗車したのが今日の本題である長野新幹線あさまだった。こちらはグリーン車をGETできたので悠々と長野まで過ごすことができた。元旦というのにグリーン車も利用者が結構いたのには驚いた。明らかに鉄人らしき人間は見かけなかったが、正月パスの利用者も多かったのかもしれない。西日本でも正月にはフリー切符が発売されて何回か利用しているが、東日本は正月以外でもフリー切符の類の切符を販売している。西日本では期間限定以外フリー切符の定期的な販売はない。西日本や他のJRでも周遊きっぷに変わるようなフリー切符の登場を期待したい。E2系は03年夏の北海道遠征の時に一度乗車しているが、グリーン車は初乗車だった。さすがに重厚感のあるシートでゆったりくつろげたが、同じようなシートでもっと廉価で乗れる列車が新大阪~博多間に走っているのを思い出すと通常料金で乗るには物足りないなと思う。九州ではワンドリンクサービスがあるが、各社ともグリーン車ではワンドリンクサービスぐらいは欲しいものだ。長野まではあっという間に着いたが、峠越えらしきものはあったもののトンネルばかりで少々退屈な道中だった。鉄っちゃんとしては長野までの道中はやはりあれがなければ…と思う。

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2008年5月16日 (金)

JR飯山線

031230iiyamaline1102352  弥彦線の乗り潰しをそそくさと終えて、東三条から再び信越本線を西へ向かい長岡へ。長岡から上越線に乗り換えて一路飯山線と接続する越後川口へ。しかし、ここで抑止がかかる。ここまで来て既に見飽きた感があった115系だったが、ここへ来て当該列車に不具合発生とは…。運転士さんが必死にあっちこっち動き回り車両の点検を行い、何分遅れになったか忘れたが、とりあえず発車できるようになった。飯山線との接続はそれなりに時間に余裕があったものの、長岡発車時点では既にアウトに近い時間だったのは覚えている。車内放送に耳を傾けながら、越後川口での飯山線との連絡があることを確認してほっと一息つく。越後川口では115系ばかり見てきたのでなんとなく新鮮に映ったキハ110系が到着を待っていてくれた。私が乗った列車は展望車両として千曲川側の座席が窓側に向いた車両が連結されており、雪深い道中をその“ロングシート?”に座りながら楽しんだ。雪が降ったりやんだりの道中で、只見線と並ぶ豪雪地帯路線の景色はさすがに白一色だった。途中戸狩野沢温泉駅で乗り換えを挟み、引き続き長野を目指して雪の中を走った。途中スキー客などで車内は一杯になり、少々遅れが生じていたので、長野まで行かず、豊野で降りて信越本線に乗り換えて、長躯新潟まで戻った。新潟に着いたのは20時過ぎ。宿に入ってぐったりしたのは言うまでもない。思い返せば乗り潰しも楽ではないなと改めて思う。weep

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2008年5月15日 (木)

JR弥彦線

031230yahiko115y22  JR越後線の乗り潰しを終えて、柏崎から豪華デラックス快速のくびき野に乗って東三条へ。485系に18きっぷで乗れるとは一昔前には感動ものだったが、前夜に485系ムーンライトえちごに乗っているだけに色が変わったのと車内がグレードアップ車なのでセミハイデッカになってちょっぴり豪華になっただけで、“感動”という言葉にまでは至らなかった。長岡を境に旅客が入れ替わり、新幹線がある長岡~新潟間での利用の方が多かった。新幹線の恩恵がない駅での乗降が多く、東三条も燕三条が近いものの、乗降がかなり多かった。東三条からは弥彦線塗装?の115系ワンマン列車で吉田へ。越後線同様弥彦線も吉田での系統分離が多いようだ。ここで乗り換えて同じ115系ワンマン電車で弥彦行きに乗って終点の弥彦へ。終点の弥彦は弥彦神社の本殿を模した駅舎があり、観光気分を盛り立てる駅だった。年末とあって初詣の準備がされており、ゆったりとした時間の流れの中にも新年を迎えるにあたっての慌ただしさも垣間見られた。私の旅にはほとんど観光という言葉が見当たらない味気ない旅だが、ご多分にもれず弥彦神社を訪れることもなく、折り返し電車で東三条へと戻った。乗り潰しというより乗りつくしの旅なので、余裕時分など全くない。この辺りは最近反省して、少しは観光や沿線を見て回るようにしているが、相変わらず質より量の旅をすることが多い。私鉄乗り潰しが終われば、乗り潰し鉄道は国内にはなくなる(海外にはうんざりするほどあるが…宝くじでも当たれば海外乗り潰しを考えようかなhappy02)ので、ゆっくりした旅を楽しみたいものだ。

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2008年5月14日 (水)

JR越後線

031230echigo115s22  武蔵野線乗り潰しの続きになるが、西船橋から京葉線に入り、海浜幕張や新木場で撮影して、初乗りのりんかい線に乗って大崎へ抜けて、しばらく都内で時間を潰して、ムーンライトえちごに乗って次の乗り潰しのターゲットである新潟へ向かった。ムーンライトえちごは165系時代に何度か乗っているが、グリーン車の座席を再利用したシートは非常に快適だった。夜行なので窓割りが合わないのはどっちでも良かったし、リクライニングの角度が深いのは何より嬉しかった。それから置き換わった485系ムーンライトえちごに乗ったのはこの時が初めてで今のところ最初で最後の乗車になっているが、普通の485系のシートを使用しているため、以前の165系ムーンライトえちごに比して見劣りした。あまりゆったり眠れぬまま新潟に着いて、まだ夜も明けきらぬ中越後線の乗り潰しにかかった。701系もどきのE127系に乗車した。早朝の一番寒い時間に乗ったので、車内は寒々としているかと思ったが、暖房がよく効いて心地よい車内だった。この辺りはさすが雪国を走る電車だけに首都圏よりも車内は暖かい感じがした。この年末に遠征した九州で寒い思いをしたので、E127系の車内の暖かさが身にしみた。ロングシートでローカル線の旅としては味気ない旅路ではあったが、モータを唸らせながら走る道中は関西の103系のようで、なんだか懐かしい感じがした。吉田で115系に乗り換えて、今度は正真正銘の国鉄車による旅となった。年末の朝方の利用だけに乗客は少なく、のんびりした道中だった。信越本線に比べて海側を走るので、もっと海が見える路線なのかと思っていたが、意外にも海は見えなかった。一部暗がりでの道中もあったので、もう一度全線明るい時に乗りたいものだ。

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2007年11月24日 (土)

JR上越新幹線

020915jyoetsue12  JR上越新幹線の乗り潰し達成は2001年12月20日に達成している。仕事で新発田方面へ出張するのに新幹線を利用することになった。会社の規定だったか何かで陸の交通機関が使えるところは極力そちらを使う?というような有難い規定があり、そのため新幹線の乗継ぎで、新潟方面に行くことになり、その際に乗り潰しが達成できたのである。それより前にも一度だけ上越新幹線に乗ったことがあり、その時は高崎から上野までの乗車で、これは信越本線の時に書いた国鉄の謝恩フリーきっぷを利用して乗車している。200系に乗ったものの、謝恩フリーきっぷ効果か?あるいはその当時上越新幹線の運転本数が少なかったのかよくわからないが、あふれるほどの混雑で、高崎から上野までずっとデッキで立っていたのを覚えている。01年の乗車は往復とも座っての道中だったが、行きはマックス、帰りは200系でともに座席のピッチが狭く、東京から乗る東海道新幹線との違いをまざまざと感じさせられ、上越新幹線の道中は疲れるという印象しか残っていない。もっとも東京~新潟間に乗ってさらに東海道にも乗るという人は少ないだろうから、東京~新潟間の乗車だけなら現状の詰め込み式でも十分なのかもしれない。東京圏では通勤需要があるため、多くの人が座れるようにということで勢い座席数を増やしてシートピッチを縮めざるを得ないのだろうが、何とか工夫をして東海道新幹線並みの快適性を保って欲しいところだ。

041231jyoetsushinkansene4p10maxtani  02年秋には鉄道と並んでもう一つの趣味である競馬のために、新潟競馬場まで足を運ぶという非常に金がかかる旅行をしている。9月の3連休を利用して、東京までサンライズに乗って、1日東京で私鉄の乗り歩きをして、東京にて1泊して翌日新潟へ向かっている。行きの上越新幹線は指定が満席だったので、奮発してグリーンを利用した。高いだけのことはあるが、マックスの自由席が3列シートで非リクライニングだからそれを回避して高い金を支払っただけのことでもある。マックスの2階席は眺望もよいが、上越新幹線の防音壁は非常に背が高くて、マックスの2階席の眺望をも阻むぐらいの高さがあり、景色を堪能するということはできなかった。印象に残っているのは車内販売のお姉さんが美人だったことぐらいだろうか(笑)。帰りの車内販売のお姉さんも美人だったように記憶している。東海道が悪いとは言わないが、上越の方は“新潟美人”のお姉さんが“お弁当に御茶、ビールにおつまみ”を販売してくれるのだろう。

 上越新幹線にはその後、06年の元旦に正月パスを利用して、ガーラ湯沢への支線乗り潰しのため、越後湯沢まで往復ともマックスを利用している。評判が悪いマックスの自由席も空いていれば快適なもので、座席が倒れないのは頂けないが、短距離利用であれば許容範囲と言える。

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2007年10月26日 (金)

JR小海線

070909koumie20023  JR小海線には学生時代に1回乗車している。95年夏に碓氷峠を越えて小諸まで行き、小諸から小淵沢まで乗り通している。この1回きりでしばらく小海線から遠ざかっていたが、乗るだけで写真が一枚もないということ、世界初のハイブリット気動車デビューということもあり、再度訪れる計画を立て、07年9月9日に2回目の乗り潰し?をした。上田駅前の上田交通系のビジネスホテル(\4900-上田は全般的にビジネスホテルが安い印象)に泊まり、朝一番しなの鉄道で小諸へ移動。前日も乗っているので、あまり感慨はないが、日曜日なのに朝から高校生の姿が目立った。ハイブリット気動車は7月にデビューしていたので、鉄道ジャーナルなどにも取り上げられ、目先の運用が記されていたので、私が計画した行程でうまく乗れるのではないかと期待していたが、臨時ダイヤを組んでいる関係からか、想定して070909kouminobeyama いたより1本後の列車で運用されていた。今回は乗るより撮りを優先して、とりあえず先行するキハ110系気動車の普通列車で小淵沢まで移動し、小淵沢近辺でハイブリット気動車の撮影をすることにした。小淵沢~甲斐小泉間の大築堤まで行きたかったが、列車から見る限りかなり駅から遠そうだったので、断念して小淵沢駅近くの陸橋付近から撮影することにした。八ヶ岳バックなどの写真は撮れなかったが、とりあえず乗れなかった分ハイブリット気動車を往復撮影して、急いで駅へ引き返し、中央東線~中央西線経由で帰阪の途に就いた。今回の計画では当初は野辺山で降りて、日本一高い駅の撮影をすることを考えていたが、小淵沢での撮影に変更してしまった。車内から日本一高い駅の看板?を見るだけに終わってしまった。また機会があれば野辺山を訪問して、日本一高い駅と日本一高い箇所(有名な踏切付近)へ行ってみたいものだ。

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2007年10月22日 (月)

しなの鉄道

070103shinano115s12  しなの鉄道には国鉄信越本線、JR信越本線時代に何度か乗っているが、しなの鉄道としては実はまだ完全に乗り潰しはできていない。乗車したのは07年9月1日、2日の北関東、信州遠征で、軽井沢~上田間と上田~小諸間だけで、上田~篠ノ井間は転換後まで乗車できていない。横軽なき後、しなの鉄道としての目玉は特に見当たらない地味な路線だが、沿線人口は比較的多そうなので、努力次第では黒字経営できそうな基盤はあるとみている。特急列車が走らなくなり、さみしい限りではあるが、軽井沢周辺は観光客でにぎわっており、新幹線のおこぼれを何とか頂いて並行在来線問題はこうやって解消するという手本を示してほしいところです。

 横軽には代替のJRバスが走っており、バスを介しての横軽越えを今でも体験できる。07年9月1日に上信電鉄乗り潰し(不完全だが)を終えて、久しぶりに高崎から信越本線に乗り横川へ。懐かしのと言っては怒られるかもしれないが、峠の釜めしで有名なおぎのやの看板を見て懐かしさに浸り(峠の釜めしはシイタケ嫌いの私にはちょっと…)、碓氷峠鉄道文化むらを小1時間ほど見学して、バスで横軽越えをして、軽井沢からしなの鉄道に乗った。横川では鉄道とバスの乗り換えは比較的スムーズだが、軽井沢は少々歩かされる。鉄道の代替として運行されているバスなんだから鉄道との乗り継ぎをもっと便利にして欲しいものだ。この時は軽井沢から上田までしなの鉄道に乗っているが、車体塗装こそオリジナルではあったものの、JRからのお下がりの115系だった。翌朝小諸で169系も姿も見られ、JR東日本から消え去った急行車が未だに見られるという点では鉄道ファンには貴重な路線と言える。

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